今日は、昨日一日だらだらと寝て過ごしたので、久々にひとり京都(一ヶ月ぶりくらい?)してきました。だって、「高僧と袈裟」(京都国立博物館)もうすぐ終わるんだもん。来週彼と京都と奈良に紅葉狩りに行くんだけれど、そのときに博物館寄るとは思えんし。

本日はちょっと指向を変えまして、歴史好き(戦国武将がとかそういうのんではなく、文化とか、仏教とか、民俗学とか、そういうこと)な話を。日本史興味なしな人は回れ右!がよいです。うん。まあたいしたこと書いてないけど。


高僧と袈裟。しかし、私は初めて知りましたが、織物って、ほんっとーーーーに気の遠くなるくらい、網目を複雑にして文様を出してるので、一反織り上げるのに労力が要るんですね。袈裟の糸一本一本が見えるくらいに拡大された写真が、それぞれの袈裟の隣にあるのですが、細い糸と太い糸、もしくは織り方、使用する糸によって現れる文様が違うというのが歴然としてて、びっくり。
更に更に、袈裟に至っても(もちろん、衣服という意味も込めて)禅宗が文化を広げる役割を担っていたのだとは知りませんでした。中世における禅宗の役割と言うのは、今の”伝統芸能”と言われるような華道や茶道のもとになるような文化を中国より輸入し、中国の文化を日本的に昇華させることの一端を担うものだったんだなあ。旧来よりある仏教の限界を感じ、新たな仏教を中国に求め、更にその仏教に付随する様々な文化を希求し、日本的に大成させるなんて、その知識欲や、好奇心たるやと、展示を見ながら思いがけず、物思いに耽ってしまった。

丁度今、私、白洲正子『かくれ里』(講談社文芸文庫、2010)を読んでいるのです。元々歴史好きの上、何故か戦中を10代〜20代で生き抜いた女性のエッセイというのが大好きなのです。(須賀敦子武田百合子幸田文(もう少し年上ですね)も、そうです)というか、結構、良質なエッセイスト、うーん、語感が違う…随筆家が揃ってる気がするんですが。過去を想起して随筆を書かれるのが、好きなのかな?白洲正子も、その好奇心とか、なんか、モガっぽいイメージの女性で、女性として解放された時代に奔放に生きているようなところがあって、そういう彼女のことが凄く好きなんだと思う。それを思うと、やっぱり戦中戦後ってことが気にかかってるのかな。
話はずれたけれど、『かくれ里』は、1970年代当時に書かれた本なんだけれど、近畿地方の随所にある、「かくれ里」といえそうな、観光地ではないんだけれど、とある貴種が流離された落人伝承の残る山里や、地の人々の有した独自の文化が色濃く残っているところや、といった古から何かしら歴史を有し(その歴史も国家的な、ではなく、レベルとしては地域の文化や生活レベル。でもそれらが大きなものの源)、それを今日まで残しているところを好奇心の赴くままにたずね、その感性と観察によって歴史を織り上げていく紀行文?随筆?のような様相を呈している。近畿地方の随所っていうところと、私も観光地はあんまり好きじゃないから、人の来なさそうな、ちょっと味があって渋い、静かな歴史的なところが好きで、そういう正子さんの感性に引かれて読み進めると、もう本当に面白くて、未だに残っているのかなあと足跡を尋ねてみたくなっちゃう。
来週彼が来るんだけれど、絶対に、絶対に奈良の奥地を旅してやるんだから、と意気込んでいる。そう、奈良って本当に好きだなって思うのは、観光地化されてなくって(でも、明治とかは、奈良のほうがにぎわってたっていうけれど)、“原始風景”が残っていそうなところ。吉野付近とかも良い。たずねてみなきゃーって思いを強くしたのでありました…。来週の日記は乞うご期待!笑 かも?
歴史一色で失礼しました。