遅くなりましたが、震災の影響にて被害を受けられた方々へ、心からお悔やみ申し上げます。
一日でも早く安寧が訪れますよう、微力ながら離れた土地で支援へ加わる所存です。


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そのときは、会議中でした。私の発表中に、しんと静まり返る参加者(普段はツッコミが多い)。とりあえず早く切り上げたれ、と短めに発表を終えると、微かに揺れが残っていて不思議な感覚でした。常務や事業部長の携帯がいっせいになり出し、工場及び本社から状況把握の連絡が来て、会議はとりあえず中断。課長が「扉は開けとけ」と言ったので、あ、避難の際の退路確保か…やっぱり阪神の震災を経験した人は違うなと思ったこと覚えてる。担当レベルはとりあえず、ニュースを見に食堂へ。たくさんの人が見に来ていました。映し出される惨状に、阪神淡路大震災を経験した方々も随分酷いものだと口々に言われて、これは大変なことだと思いました。時間を追う毎に被害状況が明らかになって、心が波立って落ち着かない状態でした。沢山の想定外のことがたくさん起きて、信じられない思いでテレビを見続けていました。土日も、テレビに釘付け。避難されている方々の状況や多くの行方不明者を探す姿に、ずっと涙が溢れて仕方なかったです。何か手助けできることはないか。それを考えて、とりあえず募金は行いましたが、これでいいのかと自問していました。彼が大阪に来てくれて一緒に過ごしたんですけれど、それである程度落ち着きました。
週が明けると、それまで映像の中にあった震災が一身に降りかかってきました。多くの化学系の工場が、被害にあっていました。その対応に追われ、情報が少ない中、なんとか得意先の怒声に宥めつつ、身を縮める想いでした。水・木・金頃には、随分精神も疲弊して、帰り道、ずっと泣いていました。基本的に、テレビはNHKを見ていたんですが、安否情報とか見るだけでもヒステリックになっているなと自覚できるくらい、涙が溢れてきました。多くの人々の大切な人々がこんなにも所在が分からないなんてと遣る瀬無い思いがしました。休日出勤で対応に追われましたが、また今週も、対応に追われる日々が始まります。
こんな文章を書けるのに、震災から10日も費やさなければならないほど精神的に落ち着かない日々を過ごしましたが、こんな遠く離れた土地でこれほどであるならば、被災地はいかばかりかと察するに余りあります。私は迷惑にならないよう、支援の募金しかできません。少しでも力になれたら。多くの人のそういう気持ちが大きな力になるのではないかと信じています。

嬉しいニュースも飛び込んできたり、震災の情報に一喜一憂する毎日ですが、被災地へはできるだけ早く復興されますことをお祈り申し上げます。