帰福理由

祖父の葬式があって一時福岡へ帰っていた。

祖父はよく私の小さい頃、私や弟のお守をしてくれていて、中高過ぎてからは、随分疎遠になってしまった人だった。今祖父は母の再婚でできた妹のお守をしていて、ここ数年濃密に祖父と過ごしていたのは、妹だった。
妹はまだ8歳だから、祖父の死を理解していない(から従兄弟たちと大騒ぎしている)のかな、とお通夜や葬式のお手伝いを色々していた時にぼんやり考えていたんだけれど。葬式でお花を棺の中に添えて、蓋をする時、いよいよこれで生身の祖父ともお別れかと一人物思いに耽っていると、妹が涙を流しているのが見えた。
小さいからだで、静かに泣いている。
ずっと、彼女の今までの8年、祖父と共に会った8年だっただろうな、と思って。私の小さい頃を思い出した。多分、抱き上げて貰った回数が一番多いのは私だった。20年前、祖父は58で定年間際。私は3歳で、遊びの盛り。そこから6年位は祖父母宅に預けられることが多かったし、祖父も元気で一緒に公園で遊んで貰ったりしていた。膝の上でご飯を食べたり(甘えたがりなので)、ゲームをしたり、本当に色々わがままを叶えてもらったなぁと大きな思い出が去来した。とても、悲しいって、漸く、思った。呆然と棺の前で立ち尽くして、顔ばかり見ていた。死んだのに、本当に、生きているときと同じ顔で優しさに溢れていた。祖父を象徴するような顔だった。

母は、明るかった。色々準備することがあって、忙しそうにしていて、棺の前に立たなければ感情を表せなかったんだろう。でも、棺の前で、母は目を真っ赤にさせていた。私と寄り添って見ていた。葬儀屋さんが、「おなおりください」と言ってもずっと手を合わせて目をつむっていた。
母と2人手を繋いで、火葬場まで行って、お骨を納める段になって、母の震えが大きくなった。私もぎゅっと手を握って、骨だけになった祖父を見つめた。
死んだら、骨しか残らない。お箸で納める時、とても大切に、そっと、壊さないように骨壷に入れる。神妙な気持ち。祖父の骨を、こんな、私が、納めていいのかなあ…って、薄情な孫でごめんね、って、皆、収骨室から出て行っても、ずっと、骨を見つめていた。何度も、骨を骨壷に入れた。大切に、そっと。そんな風に死んでからしか思いやれない自分を忌々しく思いながら。
祖母はずーっと喋り倒していた。でも、念仏は人一倍、唱えていた。顔をゆがめながら、祖父に相対していた。この人の悲しみ方は、こんなに、静かなんだ、って。あんなに元気な人なのに、って思う。
女4人、哀しみにくれた一日でした。
でも、本当、葬式って残されたものの為にある式だ。
これがなければ、死者を弔えない。振り返れない。小さい頃遊んでくれてありがとう。何も返せなくてごめんね。呟く。