旅(中国)散文

中国に行ったと言っても北京ではなく、上海・南京。南京というと、ドキッとしてしまうかもしれない。
急激に発展を遂げる中国における、象徴的な都市・上海。天高く聳えるビル群に、一歩路地に入ればスラム街。高級百貨店に、ツイード・スーツ、シルクのドレス、金。露天商がいて、偽物を売り付ける人がいて、職業的物乞いがいる。陰陽が隣り合って、魔都・上海は、姿を変えはすれど、生きていた。
南京は、かの有名な、あの地。勿論、博物館に行く予定でまずは古都・南京、孫文先生へご挨拶。上海に比べると、まだまだ発展途中の南京。地下鉄にはホームレス、物乞い。露天商は、もっと小汚なく(上海より)、生活感が溢れて居る。空気は勿論悪く、汚染をひしひし感じたし、にやにやしながら近付いて来た公安(警察)にとても恐怖を感じた。南京の虐殺博物館に行く時、妙な苦しみと対峙して、博物館の外に置いてある虐殺を象徴した大きなオブジェや彫刻をみて、脳が活発に動き出す。問題は、数ではない。事象だ。運悪く、休館日で中を見ることは出来なかったけれど、なんだか残念な、でもほっとしたような気持ちになってしまった。
連日連夜に及ぶ青島ビールや豪華な食事に、太って行く感じはしていた。しかしやめられない・とまらない食欲に毎回大量に注文される料理が負けることはなく、蛇・アヒル・蛙・犬・野兎と食べたことないものをクリア!蛙・犬・野兎は美味。
旅を通して発展の陰で一体どれだけ大切なものが失われてしまったのだろうと思うこともあった。
でも、雨降りでタクシーがつかまらなくて、困って居たとき、ちょうど中山陵に観光にきていた、私たちが宿泊予定の大学のバスに乗せて貰えるという、とても嬉しいことがあった。『皆さん!日本の友だちが帰れなくて困っています。席を詰めて乗る場所を作ってください』と言ってくれた山東省出身の女教師の言葉に胸が熱くなった。先生たちによると、最近では、"日本の友だち"なんて表現を聞かないのだそうで。それを若い女教師の人が言ってくれて、老若男女の乗客が、私たちが乗る場所を作ってくれて、私なんて、二人座っていた座席を詰めて、そこにもう一人分乗る場所を作ってくれて、もうどう感謝して良いのか分からなくなるくらい、嬉しいのに、『謝謝』しか言えなくて、話し掛けてくれるのに、全然言葉が分からないから、応えられなくて、とても情けなくなった。
中国がどんどん好きになる。